歴史
北浜の由来・歴史
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北浜は創業者の北迫兎吉が、九州鹿児島から単身上坂し大阪で関西料理の修行をした後、日本橋にて開業しました。関西料理を東京で広めるのには、この場所が好適であったからです。当時は、人形町一帯は浪花町と呼ばれており、関西人が多く住まっていた場所でした。というのも、古くから繊維問屋、着物問屋街であったこの一帯は、関西から京の織物を持ち込んでは東京の富裕層に販売する着物の街だったからです。描かれている大丸東京店は当時の反映を象徴するものと言えましょう。 |
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△昭和初期の大伝馬町界隈。背後の黒い建物が移転前の大丸百貨店です(銀世界/伊藤春雨) |
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同時に、東京証券取引所を近隣の兜町に控え、堀留町の東京工業品取引所、蛎殻町に東京穀物商品取引所、本石町に日本銀行本店に有するこの地域は、昭和初期には、「日本橋区」と呼ばれていた日本金融の中心街でもありました。商いの都、大阪から数多くの商工業者が集まっていたことは想像にかたくありせん。 |
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△昭和50年頃の北浜 | △西郷隆盛の掛け軸 |
このように古くから関西の商工業者が集まるこの地は、大阪で言えば、大阪証券取引所のある「北浜」のような場所でありました。それゆえ、創業者は「北浜」と屋号を定めたようです。「商都 大阪」と縁深いこの地で、歴史に思いを馳せながら老舗伝統の関西料理を是非一度、ご賞味ください。 |
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△関西金融御由緒の地 |